赤羽駅午後11時30分の憂愁

というワケで、いつの間にか業務の行き帰りに赤羽駅を利用する日々が復活しております。すなわち、今からもう15年近く前=20代半ばから30歳までの頃、新卒で勤め始めた会社をあっさり辞めて北関東の某学習塾で講師のアルバイトをしていたことがあり、その頃の一時期、特に意味もなくこの街で暮らしていたことがあったのです、ワタクシ。

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当時は赤羽からJR宇都宮線で久喜まで出て、久喜から東武伊勢崎線に乗り換え、某塾の最寄である東武伊勢崎線・足利市駅までわざわざ往復しておったのですが、その日の最後の授業が終わって東京に帰る時は、午後9時50分頃に東武線・足利市駅を出発⇒同久喜駅に午後10時40分着⇒JR線に乗り換えて午後10時50分発⇒赤羽駅に着くのは午後11時30分過ぎ。そして、問題はその後です。その赤羽駅のホームから改札に向かう階段を下りていく途中、『青森方面 のりば○○番線』という表示板が目に入り、毎回毎回不思議な感慨に襲われたものです。ええっと、何が感慨なのかって? いいですか、青森ですよ、青森。赤羽駅に「青森」の表示ですよ。ちょっと考えたら、かなり変ぢゃありません? 赤羽から列車に乗って青森に行く人って一体全体どんな・・・何やら「暗い事情」めいたものを勝手にでっち上げ、妄想を逞しくしたものです。というよりもむしろ、当時はワリと鬱屈した気分で毎日を過ごしていた時期なので、「このままココ(赤羽)から青森行きの夜行列車に乗り込んでしまおうか。誰にも知られることなく・・・」なんて行方不明願望に囚われたこともしばしば。今もあの『青森方面』の表示板の強烈なインパクトは、当時のどうしようもない気分と共に、よく憶えております。

ところで、あの時ホントに午後11時30分の赤羽駅から青森行きの夜行列車に乗ることが出来たのかどうか。手元にある何冊かの古い時刻表(なんでそんなモノがあるのだ)の中から、あの頃に一番近い「1986年4月刊行」の時刻表で確認してみたところ、確かに寝台特急のみならず、普通の特急列車、さらには急行列車なんていう渋い種別の列車多数が上野と青森を結んでおりました。が、残念ながらどれも赤羽には停車せず。つまり、赤羽は普通列車しか停車しなかったんですな。そして、さすがに普通列車で青森までダイレクトに運行されている列車などあるはずもないワケです。念のため、それよりさらに古い「1976年9月刊行」の時刻表(だから、なんでこんなモノがあるの?)でも確認したのですが、事情は同じでした。無念。妄想崩壊。どうやら、ワタシの行方不明企画はそもそも物理的に実現不可能だったようです。が、その古い時刻表を調べていて、思わぬ驚愕の事実を発見。当時=1986年現在の時点でも、その赤羽駅では駅弁『御寿司』(と言っても稲荷寿司&海苔巻の組み合わせと思われる)が売られていたらしい。しかも、その1種類のみ。赤羽駅で稲荷寿司と海苔巻の駅弁を買う人というのはどういう人なのだらふか・・・空想の世界が再開幕。

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そこで、葛飾在住時代によくチャリ激走で訪れた葛飾・亀有≪東和銀座幻商店街≫近くの幻古本屋で随分前に買った昔の駅弁の本をパラパラ捲っていると、赤羽駅の駅弁『御寿司』(昭和3年)の写真が掲載されているぢゃありませんか。おおっ、ホントにあるのね、赤羽駅の駅弁。しかも、インターネットで「赤羽駅・御寿司」で検索したら(ヒマだな、おい)、今は亡き赤羽駅の駅弁に数件ヒット。レトロ包紙の写真館もあるではないかっ! ノスタル汁噴出の色褪せた包紙を眺めていると、早くも空想が暴走して妄想に・・・ああ、赤羽駅で駅弁の稲荷寿司&海苔巻を買って東北本線に乗り込み、途中で急行列車(「特急」じゃないところがミソ)に乗り換えて青森に行く人って一体・・・やはりナニガシかの「暗い事情」は不可避だな。青森までは一体何時間かかるのだらふか。赤羽で買った寿司はいつ食うのだらふか。飲み物はやはり陶器に入った日本茶だったのだらふか。夜の宇都宮の街をどんな思いで眺めたのだらふか。そして、福島辺りを過ぎれば、信じられないくらい雪が積もっているのだらふか(いつの間にか「冬」に設定)・・・もはや妄想を自制できません。いや~、やっぱヒマって素敵ね。

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